損害賠償条項における「損害」の概念(続)

以前の記事で、契約書の損害賠償条項における「損害」について少し整理をしてみました(⇒リンク)。そして、その記事でユニドロワ国際商事契約原則(ユニドロワについては別の記事⇒リンク)が参考になると書きましたが、今回はこれを題材にもう少し考えてみたいと思います。

ユニドロワ国際商事契約原則は、その7.4.1条から7.4.13条で損害賠償(damages)に関する準則を示しています。以下では、このうち損害の範囲に関わる部分について検討します。

損害の確実性

まず、ユニドロワ原則7.4.3条は、損害の「確実性」として次の準則を挙げています。日本法的にいえば「因果関係」の要件です。

第7.4.3条(損害の確実性)
(1) 損害賠償は,将来発生する損害を含め,合理的な程度の確実性をもって証明された損害に対してのみ認められる.
(2) 機会の喪失についても,その機会の生ずる蓋然性に応じた賠償を認めることができる.
(3) 損害の額を十分な程度の確実性をもって証明することができないときは,その算定は裁判所の裁量に委ねられる.

1項は未発生の将来の損害について、2項は機会喪失の損害(逸失利益の損害)についてそれぞれ規定していますが、要は、3項にあるとおり、損害は「十分な程度の確実性」をもって証明されなければならないということを示しています。

感覚的に違和感のない準則だと思うものの、何をもって「十分な程度の確実性」というかは裁判で裁判官に判断してもらわないと決着しないのではないかと思えます。実際、この3項自体も、確実性を証明できないときは裁判所の裁量に委ねられるとしています。

日本法的にいえば、ユニドロワ原則7.4.3条の「確実性」とは、債務不履行と損害との間の因果関係に相当すると思われますが、「債務不履行と因果関係のある損害を賠償する」というのは当然ですし、契約書の条項も「不履行により生じた損害」と因果関係の要件を含んだ形でワーディングされるはずですので、損害の確実性という概念を契約条項に持ち込む実益はあまり感じられません。

以前の記事で述べたとおり、裁判例では損害賠償の範囲に含まれるか否かに関し「相当因果関係」という用語が使われることが少なくありません。ただ、「この損害は債務不履行と相当因果関係にある(ない)」という表現は多分に決まり言葉的に使われていることが多く、実際には、ユニドロワ原則7.4.3条でいう確実性や次で述べる予見可能性といった要素を含め、総合的な判断の結果が相当因果関係の有無として表現されているという評価も可能です。

損害の予見可能性

ユニドロワ原則7.4.4条は、損害の「予見可能性」として次の準則を挙げています。

第7.4.4条(損害の予見可能性)
債務者は,契約締結時に,不履行の結果として生ずるであろうことを予見しまたは合理的に予見することができた損害についてのみ賠償の責任を負う.

一見して分かるとおり、民法416条2項で採用されている予見可能性(foreseeability)を基準とした準則です。そしてこれは、以前の記事で説明したとおり、イギリスにおける1854年のハドリー対バクセンデール事件判決を源流とする準則です。

民法416条によれば、通常損害は当然に賠償対象となり、特別損害は債務者が予見可能であった場合に賠償対象となります。そして、裁判例上、特別損害は通常損害の範囲を超える損害とされていますので、民法416条で損害賠償の最大範囲を最終的に画するのは、債務者の予見可能性ということになります。これはユニドロワ原則7.4.4条と整合します。ただし、ユニドロワ原則は「契約締結時」に債務者が予見可能だったかどうかを問題としていますが、日本の裁判例や多数説は「債務不履行時」を判断時点とするので、この点は相違します(日本法の解釈の方が賠償範囲が広くなり得ます)。

ユニドロワ原則7.4.4条自体はシンプルなのですが、同条の注釈(Comment)は幾つか興味深いことを述べています。

まず注釈は、世界には、故意や重過失による債務不履行の場合に、予見不可能な損害についても賠償義務を認める国があるが、本条はそうした例外を設けていないと述べています。つまり、損害の範囲の議論に、故意・重過失による債務不履行かという基準を持ち込むべきではなく、あくまで損害についての予見可能性という基準を使うべきと述べています。

米国法を含め、債務不履行が故意・重過失による場合に損害賠償を加重する法制度(懲罰的損害賠償、3倍賠償はその例です)や国際条約は必ずしも珍しくありませんが、ユニドロワは、それを国際的に通用する一般原則でないと見ていることになります。なお、わが国も批准しているウィーン売買条約(国際物品売買契約に関する国連条約、CISG)74条もユニドロワ原則7.4.4条と同じタイプの規定になっています。

また注釈は、予見可能性は、損害の性質や種類について求められるもので、損害の程度についてではないとも述べています。分かりにくいですが、民法416条2項が、予見可能性の対象は損害そのものではなく、その原因である特別事情であるとしていることに近いかもしれません。

そして注釈は、予見可能性は、通常事情(ordinary course of things=普通の成り行き)と当該契約における特別事情(particular circumstances)を前提として、普通の注意力を有する者が合理的に何を予見できたかという基準によって判断されるとしています。また、特別事情の例として、当事者が開示した情報や以前の取引を挙げています。そこに示された具体例を含め、民法416条の適用においても参考になります。

ユニドロワ原則における「差額説」の位置づけ

以前の記事で説明したとおり、ドイツ民法は損害賠償を原状回復的に考え、あるべき「原状」と実際の「現状」との差を損害と捉える法制度です。この考えを「差額説」と呼び、日本の裁判所は損害論一般において差額説に厳密に従おうとする傾向が強く、具体的には、個別損害項目ごとに差額を積算する思考として現れます。

ユニドロワ原則には差額説への明示的な言及は見当たりません。ドイツ法的な完全賠償原則への言及はありますが(7.4.2条)、差額説とは必ずしもセットにされていません。また、上で述べたとおり、ユニドロワ原則では、債務不履行が故意・重過失による場合に損害賠償を加重する制度が否定されており、差額説に親和的ではありますが、差額説的説明はなされていません。

「損害=原状-現状」と模式化される差額説は確かにコンセプト的には美しいのですが、逸失利益のような仮定的因果関係に基づく損害、慰謝料のような裁量的評価が不可避の損害、公害や薬害などの現代型事件における損害などに関し、果たしてどこまで妥当する理論なのかは長年議論されています。ユニドロワ原則が、差額説をもって「国際的に通用する契約法の一般原則」と見ていないように思われる背景にはそうしたことがあるのかもしれません。とはいえ、裁判実務における差額説の傾向は強いですので、裁判になった場合にはこれを意識することは必須です。

契約条項としての基準

特別損害に関する予見可能性という概念が、契約条項というレベルで損害の範囲を画する基準として機能するか、それとも、もっぱら裁判における基準とみるべきか、また、日本における損害論の基礎として横たわっている差額説は今日どのように捉えられるべきかなどについては、民法学における議論とも関連して簡単には答えは出ません。ただ、ユニドロワが述べているところから見ても、我々は、民法416条の規律、つまり、通常損害と特別損害、特別損害の原因である特別事情についての予見可能性という枠組みが、国際的にも十分通用しうるものであることにもっと自信を持つべきではないかと思います。

日々の契約条項の起案、修正等においても、民法416条の枠組みを参考に、裁判例という資産も活用しながら、多様な損害概念を包摂する工夫や精緻化を試みること、また、差額説を過度に絶対視しないといった問題意識も大切と思います。

弁護士 林 康司